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市民連帯 |
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集会の内容など |
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6月13日(金)
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●第1回CS千葉懇話会 ●船橋市勤労市民センター ●13名参加
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政治の変革をめざす市民連帯の第一回CS千葉懇話会が6月13日(金)、船橋市勤労市民センターで開催された。テーマは「市民自治とはなにか」。話題提供は村岡到事務局長。参加者は13名。市議、県議、弁護士、大学教員、労働運動や市民運動をやっている方など、多彩な方々が参加された。習志野市長選に立候補して、かなりの票を獲得した方もいた。また本日の参加者の一人が呼びかけ人になり、これで市民連帯の会員は105名になった。 まず村岡到氏が、用意されたレジュメに沿って、「<市民自治>とは何か」について話された。<市民>とは何かや<市民自治>という言葉が、左翼の世界でどのように使われてきたか、あるいは使われないで来たかなど、原理的なレベルの話、そして歴史的な話をされた。村岡氏は<市民>を「法の下での平等を認められた人間」と定義し、政治的次元の概念(側面)とし、<労働者>を「自らの労働力を商品として売って労働する人」と定義し、経済的次元の概念(側面)とし、その両者(両側面)を区別する必要を強調された。
その後、質疑応答や参加者の自己紹介を兼ねた問題提起も活発に行われた。その中で、市民自治とは闘い取れられるものであるという指摘が何人もの方から出された。 千葉県は、東京、神奈川と並んで市民連帯の会員の多い県であるが、これで隔月での政治討論集会、そして東京でのCSひろば、神奈川と千葉での懇話会と関東一都二県での定期的な催しが行われるようになった (報告者:紅林進) |
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12月13日(木) |
●第1回CSひろば「東京大空襲訴訟の意義」 ●アカデミー茗台 ●9名参加
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12月13日(木)、文京区の「アカデミー茗台」で、市民連帯の会員など9名が参加して 第1回「CS広場」が開催されました。今回の「CS広場」は、東京大空襲訴訟原告団事務局次長の斉藤亘弘さん(市民連帯呼びかけ人)に「東京大空襲訴訟の意義」をテーマに、1時間余りお話をして頂き、その後質疑応答を行いました。 斉藤亘弘さんからは、詳細な空襲被害調査の話や日本軍による重慶爆撃被害者との交流談などをお聞きし、東京大空襲を体験された参加者からは、想像を絶する空襲の 体験談をお聞きしました。特に、戦後佐藤内閣が、東京大空襲責任者であるカーチス・ ルメイ少将に「綬章勲一等旭日大」を授与したとの話には、驚き呆れるばかりでした。斉藤亘弘さんのお話で一番驚いたのは、戦前の日本には、民間人の戦災被害も国家 として補償する法律があり、実際に初期の被害には、国から多額の補償がなされていた ということです。結局、全国的な空襲被害の多発で、国は財政的に補償不可能となりま す。戦後、この法律は占領軍の命令で廃止され、代わりに戦災以外の困窮者も対象に した包括的な救済法ができたそうですが、空襲による人的、物的被害の補償は、実施されませんでした。 また、民間被害は、どの国も被害金額が莫大な額となるために、補償はしていないも のと思い込んでいましたが、実は日本のように全く補償しない国の方が少なく、日本と同 じ敗戦国の立場で、膨大な民間被害が発生したドイツも民間被害の補償をしているそう です。これも初めて知り、驚きました。敗戦後、ドイツが戦争被害を与えた諸外国に、多額の被害補償を実行してきたことは 有名であり、知っていました。しかし、なぜかドイツが国内の民間被害も補償してきたことは、知りませんでした。このことは、おそらくほとんどの日本人は知らないでしょう。なぜ、 このような誤った思い込みが発生したのか、その経緯・原因を調べて見たいと強く思いました。 敗戦後、ほとんどの兵士は、筆舌に尽くし難い苦難に遭いながら政府や軍幹部の責任を問う行動を起こすわけでもなく、まるで天災にでも遭った被災民のように大人しく日本 に引き上げて来ました。また、多くの国が戦死した兵士だけでなく、民間の犠牲者も国家 として補償したのに、日本人は、兵士と国民を差別的に扱う国の理不尽さに内心怒りな がらも、許してきました。これらの相違は、国側の問題ばかりでなく、究極的には、おそら く国民の国家観と関係があるのではないかと、改めて考えさせられました。 |
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12月12日(水) |
●「新テロ特措法を許すな!日米軍事利権を徹底究明せよ 12・12緊急集会」 ●12・12緊急集会実行委員会主催 ●日比谷野外音楽堂 ●1600人 |
新テロ特措法案を廃案にし、日米の軍事利権を徹底糾明せよと呼びかける集会が12日開催された。集会は、主催者代表の坂内全労連議長のあいさつの後、連帯あいさつとして「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さん、特別発言としてアフガンで井戸掘りや灌漑設備の整備を続ける「ペシャワール会」の元現地ワーカー木藪健児さん、政党から日本共産党参議院議員の井上哲士さんらが発言した。特に、「ペシャワール会」木藪健児さんの「殺しながら援助する」米軍やISAF式「援助」の実体を告発したお話は、現地を体験した者の声だけに、重いものがあった。集会後、野音から国会まで1600名で請願デモを行った。 |
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12月4日(火) |
●「新テロ特措法案を廃案へ戦争する国づくりを許さない全国集会」 ●平和フォーラムなどの団体で構成する同実行委主催 ●社会文化会館ホール ●600名以上 |
ほぼ満席の来場者で600名以上。教組や自治労など組合系の参加者が多く、民主党と社民党の議員が国会報告。その他、NGO(JVC)やジャーナリストによる、アフガニスタンやイラクの現状報告、岩国や沖縄からの報告がありました。アフガン現地で活動しているJVC(日本国際ボランティアセンター)の人の報告はアフガンの現状やISAFに関わるような興味深い話をしていました。12/13CS広場と1/20創立記念講演のビラも配りました。 K |
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11月 |
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11月30日(金) |
●「JR採用差別」全面解決を迫る11・30全国大集会
●日比谷野外音楽堂 ●主催:国労闘争団全国連絡会議と鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労原告団の訴訟四団体と、労働組合の国労、建交労(旧全動労)と支援団体の国鉄中央共闘、国鉄共闘会議の四団体。 ●約7300名 |
11月30日、東京・日比谷野音で国鉄の分割民営化に伴う1047名の解雇から20年目を迎えた国鉄闘争の全国大集会が開催され、参加してきた。座席と後方の通路も満杯にする7300人が参加。 各地の争議団員や家族、支援団体・個人が出席。日本共産党、社民党、民主党の代表が挨拶した。「政府は積極的に全力をあげ解決を図るべきだ」との集会アピールを採択した。 夫を解雇され登壇した北海道・音威子府闘争団家族の藤保美年子さんは、一昨年の判決で、国労差別が認められたのは当然。国家的不当労働行為であり、「この20年間、働き盛りの夫から仕事を奪い、私たち家族の平穏な生活まで奪ったことは絶対に許せない。政府は責任をとれ」と訴え、大きな拍手を浴びた。 最後は、100人以上の闘争団が登壇し「団結がんばろう」。集会後、東京駅までデモ。 I・S |
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11月18日(日) |
● 「ストップ!再処理」(日比谷公園)青森県六ヶ所村の再処理反対のイベント |
本日は日比谷公園で「ストップ!再処理」の青森県六ヶ所村の再処理反対のイベントとパレードがあり、ビラを撒きに行きました。参加者は1500〜2000名くらい。再処理反対のトークやスピーチももちろんありましたが、メインはロックなどのミュージシャンのライブ。かなりメッセージ性の強いライブで、参加者は若い人が多く、子どもづれも結構いました。イベント終了後はデモ(パレード)を行いました。 K |
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10月27日(土) |
● 「NGOはいま何をするべきか:人道と制裁のはざまで」(『制裁論を超えて』出版記念シンポ) ●報告者:川崎哲氏、リプライ発言:中野憲志、藤岡美恵子、金朋央の各氏。司会:前田朗氏 ●主催:平和力フォーラム ●東京しごとセンター (参加者は24〜25名。途中参加。) |
川崎氏(ピースボート)の報告に対して、フロアの在日朝鮮人女性から、北朝鮮としては、日本に9条を押し付けられるいわれはない。そもそも日本はこれまで一度として、9条の理念を実現したことなどない。他国に9条を拡げると言う前に、日本自らが9条を実施するのが先だろうという批判があった。また中野憲志氏も、日米核安保をいかになくすかということを抜きにして、9条の世界化の問題も語れない、川崎氏と本格的な論争をしたいと述べていた。 藤岡美恵子氏(法政大学講師)は、最近の日本にみられる傾向として、「多文化共生」と言いながら、マイノリティーの側に立つのではなく、日本人の視点や利害に立った「多文化共生」が横行したり、植民地主義や差別の問題を無視して、植民地主義の犠牲者の在日(オールドカマー)を無視し、ニューカマーとの共生を言ったりする欺瞞、日本人中心主義を批判。また在日に日本国籍を取れ、その上で民族文化を維持すればよいではないかという主張も批判し、それは多数派であり、差別する側の人間の責任は問わず、その人たちは変わる必要はなくて、差別される少数派の方に責任を転嫁して、彼らの方だけが変われ、日本国籍を取って、日本国に忠誠を誓えと迫るもので、非常に問題だということを指摘。 金朋央氏(在日コリアン青年連合・東京)は、在日の立場から、ダブルスタンダードがまかり通っている日本における北朝鮮バッシングについて批判し、今回の南北首脳会談に対しても日本社会の対応は冷たく、すべて拉致問題に結び付けようとすると批判。在日コリアン青年連合は、かつては韓国民主化運動にも関わっていたが、メンバーは韓国籍がもっとも多く、日本国籍も1割強おり、朝鮮籍はほとんどいないとのこと。北朝鮮では、今年8月水害が発生、在日コリアン青年連合ではKOREA こどもキャンペーン、ピースボートなどいくつかの団体と一緒に、「2007北朝鮮水害復旧支援のキャンペーン」を始め、浄水器や医薬品を送るそうだが、拉致問題以降しばらくは、人道支援であっても、北朝鮮に対する支援は中々言えない状況だったとのこと。 K |
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10月27日(土) |
●「チェ・ゲバラ没後40周年記念公開シンポジウム」 ●講師:太田昌国氏、後藤政子氏、司会:伊高浩昭氏 ●主催:立教大学ラテンアメリカ研究所 ●立教大学 (来場者は大教室がほぼ埋まる約230名が参加する大盛況のシンポジウム。立教大学の授業の一環でもあり、ラテンアメリカ専攻の学生たちも来ていましたが、公開シンポなので、外部や一般の人も(むしろそちらの方が?)多かったようで、老若男女さまざまな人が来ていて、ゲバラ人気の強さに改めて驚きました) |
先ず司会の伊高浩昭氏(立教大学ラテンアメリカ研究所講師、ジャーナリスト)が、このシンポジウムの趣旨について説明し、続けてゲバラの略歴をその行動や社会的、歴史的背景とともに説明しました。 それによると、エルネスト・チェ・ゲバーラ・デルセルナは1928年6月14日、アルゼンチン・ロサリオ市で生まれた。(5月14日生まれとする説もあるらしい)彼は、ブルジョワ的家庭に生まれながらも、姉の夫がアルゼンチン共産党員でスペイン内戦を取材したり、内戦敗北後の亡命者がアルゼンチンにも逃れてきて、おそらく彼らとも交わり、そして中南米をモーターバイクで旅し、その現実(1953年に前年、革命のあったボリビアを訪れ、翌年にはアルベンス改革政権下のグアテマラを訪れ、米国の介入によるその崩壊も目撃)を見ることにより、社会意識に目覚めた。1955年にカストロ兄弟ら「7月26日運動」の面々と出会い、1956年にグランマ号でキューバ島北部に上陸し、革命戦争を戦い、1959年元日に革命に勝利する。その年、日本を含め、諸国歴訪、第三世界・非同盟の指導者たちと会談、その後中央銀行総裁になり、1961年には工業相に就任。1964年には、国連でキューバ代表として演説、1965年には、アフリカ諸国を歴訪、アルジェでソ連を「社会主義帝国主義」と攻撃、おそらくそのためにキューバにいられなくなり、キューバを去って、ゲバラはアフリカのコンゴ内戦に参戦。カストロは、ゲバラの「別れの手紙」を公開。1966年、一時的にキューバに戻ってからボリビア入りし、1967年10月8日、右足に銃弾を受け捕虜となり、翌9日に処刑された。そして国際社会に広がったベトナム反戦状況の下、ちぇ神話ないし「幻想」が始まったとのこと。1997年には、遺骨が発見され、キューバ・サンタクララのゲバラ廟納骨堂に収められた。そしてその10年後の今年2007年、キューバはじめ世界各地でゲバラ没後40周年の記念行事が行われた。 次に後藤政子氏(神奈川大学教授)が、「ゲバラとキューバ革命:ゲバラの何が惹きつけるのか」と題して話された。 その魅力は、行動力、克己心、弱者・被差別者へのまざなし、権力・権威への挑戦、「知る」ことへのあくなき欲求、社会変革への追求心などであると述べ、キューバ革命時代のゲバラは、キューバ革命との一体化をはかり、”キューバ人よりもキューバ人らしく”振る舞い、革命に献身。ゲリラ時代には、医師から司令官になり、サンタクララ攻略に戦功を立てた。国家建設においては、献身・創意工夫・向上心・理論活動・平等精神などで、貢献した。ゲバラは、キューバ革命の精神・理想との一体化を図ったが、しかしキューバ革命は、ゲバラと同一ではなく、キューバ革命の精神・思想は、カストロが強調するように(”私は「使徒マルティ」の「弟子」である”)、キューバ独立運動の指導者ホセ・マルティの精神・思想を受け継ぐものであるとのこと。ゲバラ思想は、「キューバ革命の経験」を理論化・純化(単純化)したものであるが、しかし一方でキューバ固有の歴史や固有の条件が捨象されてしまったとのこと。社会主義論・刺激論争にしても、ゲバラは物質的刺激よりも精神的刺激を強調したが、一方で物質的刺激自体を否定しているわけではないとのこと。ゲリラ戦略論、ラテンアメリカ革命論などにしても、ゲバラやカストロは農村ゲリラを中心に戦略を立てているが、実際のキューバ革命は、農村ゲリラだけでなく、都市の運動など、他のいろいろの運動も相まって成功したものであるとのこと。そして「ゲバラ思想」が一人歩きし、時代の条件もあって、「ボリビアゲリラ:美しさ・壮絶さ・挫折」へとつながって行ったとのこと。 そしてゲバラは、最初から社会主義者であったわけではなく、”キューバ到着後に社会主義者になった”とのこと。それは1950年代のラテンアメリカは、社会主義革命が当面の課題になっていなかった時代であり、ゲバラはラテンアメリカの旅を通して、革命運動に接し、同時に改良主義政権の挫折を見て、そしてキューバで初めて社会主義革命・社会主義建設の問題に直面し、社会主義者になったとのこと。 1959年のキューバ革命は多様な人々・多様なイデオロギーによってなされ、その後もしばらくはその多様性を維持したが、米国による封鎖政策もあり、次第にその多様性を喪失し、中央集権化が強まり、その平等主義体制は、変則的な形での平等主義体制となったとのこと。そして1960年代後半の「1000万トン砂糖計画」の失敗もあり、1970年代には、ソ連に接近してゆくとともに、ソ連型社会主義のイデオロギーも浸透したとのこと。 そして1980年代からは、革命の原点再確認の時代であり、キューバが変わったのは、よく言われるように、ソ連崩壊後ではなく、1980年代からであったと後藤氏は述べていました。1980年代にはキューバにおいても「社会主義体制」の矛盾が露呈(具体的には、大量の亡命、ジェンダー問題、民族音楽を排除するなど多方面に現れたとのこと)し、”キューバ革命は独自の革命であった””平等主義体制は実現できない”などの議論が起き、従来の社会主義体制見直しにつながって行ったとのこと。そして「人間の多様性に即した公正な社会」体制の模索が求められているとのこと。 今年2007年10月9日にキューバのサンタクララで行われた、ゲバラ没後40周年の式典でのラミロ・バルデス(ゲリラ時代からの闘士で、強硬派といわれる人とのこと)の演説は、”今こそチェの精神をもって闘うとき!””革命存亡の危機”を訴え、経済体制の見直し、全国民のオープンな議論を提案したとのこと。フィデル・カストロも他の指導者も、現状に非常な危機感を抱いているとのこと。 そして新自由主義がラテンアメリカに深刻な状態(「深刻な死」「あらゆる希望の破壊」「不要物としての第三世界」(観光地・廃棄物の処理場としてのみの第三世界)、圧倒的多数の国民の貧困化、人種・民族・ジェンダー・環境問題、国家主権喪失などなど)をもたらし、限界に達して、左派政権の相次ぐ誕生等、”多様な国民のための「公正な社会体制」の実現”に向けて変革が始まり、一方キューバも、”弱者への視点”、”協働の社会”という原点を維持しつつ、従来の中央集権体制の見直しをはかっており、キューバとラテンアメリカがお互いに接近しつつ、”多様な国民のための「公正な社会体制」の実現”が求められているというのが後藤政子氏の結論でした。 次に太田昌国氏(現代企画室編集者、民族問題研究者)が、<「存在する不在」=チェの今日的意味を探る>と題して話されました。 太田氏によると、チェの思想は「時代的な規定力を超えようとする能動性」にあるとのこと。彼が生きた時間の幅は、1928〜1967年。政治的に活動した時間の幅は1956〜1967年。キューバ革命後の時間の幅は、1959から1967年。彼の”時代状況に働きかける能動性”とは、具体的には、”大国による植民地支配からの解放・独立をめざす第三世界主義の徹底性”(この地域では、多くの場合、合法的な手段によっては社会変革が不可能であるとの分析から、武装革命闘争への確信)であり、”米ソ対立(東西冷戦)構造による規定性を超えて、いかに新しい社会主義像を提起するか:「新しい人間」を夢想”したことであり、国境を超える革命=インターナショナリズムの模索”であったとのこと。 次に”チェの思想が同時代の思想をどのように反映していたか”と問い、それは「1960年代という時代の特殊性」を考える必要があり、”第三世界解放の思想と運動の一環として”の側面であり、当時はアジアの胎動、アフリカ諸国の独立=「東風が西風を圧する」(毛沢東)と評される状況があり、”社会主義論の分野において”は、ポーランドとハンガリー(東欧社会主義圏)での反政府暴動や中ソ論争を経た時代であり、それはチェの”ソ連型社会主義への批判”に行き着いた。彼はこの分野において、「新しい人間」という形で提起したが、残念ながらそれを深める時間がなかったとのこと。そして”日本論”においては、1959年にチェが経済使節団団長として来日したときのエピソードを紹介し、日本外務省が用意した千鳥が淵墓苑(無名戦士)への献花を「アジア侵略をした兵士の墓に献花はできない」と拒否し、原爆被爆の広島訪問を日本外務省の反対を押し切って強行したことに触れ、それは日本のそれまでの平和運動にあった被害者論に立った平和運動ではなく、加害の側面を直視する「加害者=被害者」論との関係で意味があるとのことです。 最後に”現代とチェの思想との関わり”について述べ、「権力から遠く離れて生きた人物のロマン化を超えて」問い直す必要があるとのことです。それは”20世紀型社会主義の崩壊・敗北と、第三世界武装革命闘争のその後、「独立」「解放」後の社会を目撃してしまった者としての、私たちの応答責任”であると太田氏は述べていました。 その後、休憩を挟んで工藤律子氏(ジャーナリスト、ストリートチルドレンの支援なども行っている)が、ゲバラ没後40周年記念のキューバでの式典の模様を10分ほど紹介しました。フィデル・カストロが出席するのではないかという憶測から日本のマスコミも各社が来ていたそうですが、フィデル・カストロは出席しなかったそうです。ゲバラの妻子も式典に出席したそうです。 最後に質問票形式による会場からの質問にパネリストが答えるという形での質疑応答があり、終了しました。 K |
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10月27日(土) |
● 「解釈改憲」「国民投票」などをテーマに対談やシンポジウム ●講師:上原公子、井原勝介、佐高信、山室信一、伊藤真、小森陽一、知花昌一、今井一ら各氏 ●京大会館 ●憲法9条・メッセージ・プロジェクト (7時間に及ぶシンポジウム)
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9条の会の人たちやここ数年で護憲運動に入ってきた人たちは、自衛隊や安保には触れずにひたすら戦争の悲惨を訴えて9条を守り抜くべしという考え。安保や自衛隊への言及は護憲勢力の分裂を招くと心配してます。 対して昔からの護憲派は、自衛隊や安保を容認しての護憲は、自民党の解釈改憲を私たちが採用することだと考えます。大目的として安保廃棄、自衛隊廃棄は絶えず言い続けていかなければならないと主張します。 大和の安保自衛隊容認護憲運動は沖縄の犠牲を無意識にせよ前提とした沖縄切捨て論だと、知花さんたち沖縄組は慙愧されているようでした。 【全野】代理?の私たちは、大同につくために小異を捨てさせようとするから問題が生じるのであって、それぞれの小異についてしっかり議論し、理があればこれを尊重しながら改憲阻止に集約していくべきではないかと主張しました。 主催者は⇒http://www.k3.dion.ne.jp/~k-9mp/ お知らせ:近日中にこのシンポジウムの記録がDVDになって週刊金曜日から発売されます。 信濃のアブマガ |
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10月26日(金) |
●「名護市民投票からまる10年」 ●講師:知花昌一氏(読谷村)、宮城保氏(名護市) ●主催:「国民投票/住民投票情報室」 ●大阪・玉造の本会事務所 (「情報室」の会員懇談会) |
「9条と安保・自衛隊は矛盾してる?並存できる?」26日は"国民投票/住民投票情報室"事務局に沖縄から知花さんと宮木さん、大阪9条の西弁護士、門真市議、みどりひょうご代表恩田さん、事務局の今井一ほか2名、週刊金曜日企画室長糟谷さん、【全野】からアブとミヤッチで午後6時から10時まで護憲の今後について激しい議論が展開されました。 テーマは今週号の金曜日「解釈改憲論に勝ち抜くための論理6」についてでした。この記事の冒頭、山口二郎は、参院選は47年ぶりの安保闘争だった。この護憲派の勝利は、戦後護憲勢力の活動の結果だと評価しています。我部政明も山口に同意し、前田哲男は社民の体調は戦力的ミスにすぎないと主張。つづいて山口は複数護憲論を提示し、非武装中立護憲から宮澤・後藤田の自民党ハト派護憲までをあげる。つづいて前田は「7.7.7」をあげて平和志向と現状迎合の世論を説明し、山口は内閣法制局設定の枠を評価する。そのうえで記事後半は、安部的改憲の限界はみえてきているので集団的自衛権とは一線を引いた『自衛』隊を9条に依拠して実現すべきと結ぶ。(敬称略) この夜の議論の焦点は、改憲阻止勢力を拡大するために9条2項の履行は棚上げにして、自衛隊は容認するが海外での軍事展開には反対する安保と9条のどちらも不可欠とする新しい護憲派市民運動とのあいだで、自衛隊と安保の議論は控えるかどうかという点でした。 "国民投票/住民投票情報室" http://www.ref-info.net/ 信濃のアブマガ |
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10月26日(金) |
●「中国はどこへ向かうのか、日中関係と共産党大会」 ●講師:高井潔司氏(北海道大学) ●主催:アジア記者クラブ ●文京区民センター3C (アジア記者クラブの10月定例会。来場者は約30名) |
講演の要点は以下の通り。 @中国共産党大会は、5年毎に開催されるが、今回は、胡錦濤総書記2期目の党大会であり、総書記は2期10年までが慣例にはなっているので、後継総書記の有力候補を決める人事が注目点。 A大方の予想に反して、江沢民にも近いといわれているが、実は必ずしも江沢民派ではない上海市党委員会書記の習近平が、通常、次期総書記になることが予定・内定されている常務書記になり、胡錦濤に最も近いとされる共青団出身の李克強は、次順位の常務副首相(次期首相の内定)に甘んじたとのことである。 B日本のマスコミでは、習近平(太子党)VS李克強(共青団)という構図で、「太子党」を派閥や党派のように見なしているが、「太子党」は、政治的に一定の傾向を持っていというようなものではない。 C胡錦濤路線は、「和諧社会(調和社会)」や「科学発展観」などを掲げるが、基本的にケ小平路線を出られないものである。「民は寄らしむべし、知らしむべからず」で、エリート政治、党指導の貫徹を図っている、メディア改革も停滞しているとのことである。 D格差拡大の真の原因は、市場経済の不徹底であり、権力利用による富裕化。(これは疑問。格差拡大は市場経済化によってもたらされているのであり、「権力を利用した富裕化」が重なり、その格差を一層グロテスクに拡大している。) E胡錦濤中国の外交は、国際協調路線を鮮明にして行くとのこと。グローバル化の受益者に中国がなったからであり、今後は、責任大国としての振る舞いが中国に期待される。 F高井氏は、現代中国を理解するための基本的データが載った本として『中国情報ハンドブック2007』(蒼蒼社)と『中国権力者たちの身上調書』(阪急コミュニケーションズ)を推薦 。 K |
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10月19日(金) |
●「パレスチナ・占領40念と抵抗のかたち」●講師:太田昌国氏、役重善洋氏●主催:ミーダーン(パレスチナ・対話のための広場。参加者約50〜60名) |
ミーダーン(パレスチナ・対話のための広場)主催の「パレスチナ・占領40念と抵抗のかたち」というシンポジウム&映画上映&写真展に行きました。 K |
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10月18日(木) |
●ラテンアメリカの社会運動についての勉強会●講師:太田昌国氏●主催:アタック首都圏(参加者15〜16名) |
アタック首都圏主催のラテンアメリカの社会運動についての勉強会に参加しました。 K |
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こんな集会に行ってきた |